ほんものの詩人(2008年9月)|青の輪郭 #16

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この連載「青の輪郭」について詳しくは下記をご参照ください。
【これまでの連載】
#0|プロローグ
出発地点として借りたのは、東池袋駅徒歩1分の雑居ビル。
[高校編]
▼第1章 バイバイ、マイ・チャイルドフッド
#1|You Know You’re Right
高校1年の春、16歳。毎月のように変わっていく世界の見取り図。
#2|幻のツーベース
野球を愛する者だけの間で交換される感情と経験。
#3|図書館の森、リノリウムの木漏れ日
読書への目覚め、ある一冊との衝撃的な出会い。
▼第2章 スローカーブが描く憂鬱
#4|アルトサックスと坂口安吾
本気で何かに打ち込める残りの期間を数えながら。
#5|替え玉さまよ、永遠に!
練習後のラーメンがぼくらに教えてくれたこと。
#6|避難小屋としての読書
本の中のハイパーリンクを片っ端から踏みまくる。
#7|10月にマウンドでぼくは誰かに話しかけたかった
本と野球、この2つが自分の中で空中分解しそうな矢先に。
#8|青い炎
堕落せよ、堕落せよ──ひとりぼっちのトレーニングルームで。
▼第3章 きみの名前
#9|太宰治とゲームボーイ
予備校通いの始まりとともに訪れた、初めての感情。
#10|ワイルドカードの名は、東京
漠然と決めかけていた進路、この世界の永遠。
[大学編]
#11|青は、はじまりの色(2008年10月)
上京を経て時は移ろい、大学3年。世界と遊ぶ文芸誌『界遊』、はじまりの“編集会議”。
#12|夜明け前のゴロワーズ(2006年12月)
ある映画監督からの突然の電話。仲間と向かった渋谷での一夜の出来事。
#13|名前をつけてやる(2008年3月)
古見と2人、「文学に閉じこもらない」文芸誌にぴったりな名前を探して。
#14|編集会議は土曜日に(2008年5月)
創刊へと動き出す中で、初めて意識する「司会」というロール。
#15|トーコさんの秘密(2008年8月)
雑誌をつくる生活を整えていくさなかの、ある人とのエピソード。
ほんものの詩人(2008年9月)
地面だ。じゃりと砂の混じりあった地面だ。
そこに風がぶつかりあい、つむじ風が砂を巻き上げる。
小さな竜巻だ! そう思って眺めていたら、急に世界ぜんたいがゆっくりと揺れはじめた。驚いて目を上げると、錆びた鉄のバーを小さなクリームパンのような手が、ぎゅっと握っている。
君の手だ。
君の手なのに、なにか違うもののように感じる。あたりを見回すと、小さな自分の身体が金属でできた籠のようなものに収まっているのがわかる。
背中に熱く大きな手が置かれ、ゆっくりと押される。
籠につながっている鎖が、キ、と音を立てる。
それが繰り返されるそのたびに、世界は速度を増して揺れる。足は地面を離れていて、少しだけ空を飛んでいるかのような浮遊感があって、それが楽しくて笑うと、もっとうれしそうにその人たちが笑い返した。ふたりは君の顔を覗き込んでいる。背後に太陽があるのか。まぶしくて、表情はぼんやりとしかわからない。
でもわかることもある。
男のひとと、女のひとだ。
君が笑えば笑うほど、ふたりともそれ以上の笑みを返してくれる。君は心の底から安心している。このふたりが、自分と自分のいる世界を、守ってくれていることがわかる。
揺れが弱くなると、また熱い手のひらが背中を押した。その温かさが心地よく、体重を全部預けてしまいたくなる。この揺れが、終わらなければいいのにな。
瞬間、まっすぐに君の方に光が矢の形となって飛来する。
それに射貫かれて、動けなくなる。さっきまでまばゆい光に包まれていたのが嘘だったかのように、あたりが一気に暗くなり、声がする。
「……いよ」
小さな、小さな声で、耳を澄ませてもはっきりと聞き取れない。
痛みはない。それでもこわくなって、バーをしっかりと握る。手のひらの中で、褐色の皮膚みたいに剥がれかけていた錆が、ぼろぼろと粉になってゆく。
「んー、やっぱ武田は上手側に座った方がいいな」
飯山にいわれて、はっと我に返った。ぐっと握っていたのか、告知用のチラシがしわになっている。
子どものときからよく見る夢だった。こうやって白昼夢のように、真っ昼間にその映像が浮かんでくるようになったのは最近のことだった。夜に見るのはただ平和な気持ちで揺られ続けるところで終わっていたから、不穏な気持ちにさせられるシーンが加わっているのが、不思議だった。
チラシに手でアイロンをかけるようにしてまっすぐに戻し、上手側の椅子に移動する。飯山がPA卓に座った舞技研のスタッフと一言二言交わすと、「ワンツー、ワンツー」という聞きなじんだかけ声とともに、マイクチェックがはじまった。
学生会館がなくなった最初の年になった2005年、文化系サークルの多くが活動拠点を失った。
ライブをやりたくても、上映会をやりたくても学内にそんな場所はない。学校側は学生団体からの交渉を経て、若干の予算を組んだ。学生団体連合、二部文化連盟など、各学生団体は所属するサークルのジャンル、活動実態、人数などに応じてそれを分配した。そうして手元にやってきた予算が、学外のスタジオや上映会場のレンタル費などに充てられた。
何かものをつくろう、そして発表しよう。そう思った瞬間、部長に申請して小遣いのようにお金をもらい、キャンパスの外に出なければならない、というのが「学館を知らない最初の子どもたち」ことぼくら05入学世代の日常で、いつも大人がするように領収書を切っていた。
自分の財布は傷まないにしても、なにかをつくるにはお金がかかる。そんな感覚が体に染みついていたぼくらにとって、新しくできた外堀校舎のここ多目的ホールという場所は、はじめて学内で自由に使える創作と発表の場だった。
創刊号の目玉として、トークイベントをやろう。
ゲストに批評家の川俣民生さんと、ぼくたちも教わっている教授で文藝評論家の中田正生先生を呼ぼう。そこまでは決まっていた。肝心のイベントのタイトルは2時間みんなで考えて、「ゼロからはじめる『文学』、あるいは『小説』」になった。