青の輪郭|#10|ワイルドカードの名は、東京
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この連載「青の輪郭」について詳しくは下記をご参照ください。
【これまでの連載】
0話|プロローグ
出発地点として借りたのは、東池袋駅徒歩1分の雑居ビル。
▼第1章 バイバイ、マイ・チャイルドフッド
1話|You Know You’re Right
高校1年の春、16歳。毎月のように変わっていく世界の見取り図。
2話|幻のツーベース
野球を愛する者だけの間で交換される感情と経験。
3話|図書館の森、リノリウムの木漏れ日
読書への目覚め、ある一冊との衝撃的な出会い。
▼第2章 スローカーブが描く憂鬱
4話|アルトサックスと坂口安吾
本気で何かに打ち込める残りの期間を数えながら。
5話|替え玉さまよ、永遠に!
練習後のラーメンがぼくらに教えてくれたこと。
6話|避難小屋としての読書
本の中のハイパーリンクを片っ端から踏みまくる。
7話|10月にマウンドでぼくは誰かに話しかけたかった
本と野球、この2つが自分の中で空中分解しそうな矢先に。
8話|青い炎
堕落せよ、堕落せよ──ひとりぼっちのトレーニングルームで。
▼第3章 きみの名前
9話|太宰治とゲームボーイ
予備校通いの始まりとともに訪れた、初めての感情。
10 ワイルドカードの名は、東京
次の日から彼女はゲームボーイを持ってくることがなかったから、ぼくの練った戦略はすべて無に帰した。じゃあと思ってできるのは、本と音楽の話くらいのもので、でも受験生。ぼくらは日本史のクラスが一緒なだけだったから、満足に話す時間もあまりない。だからすぐにお互いのおすすめを貸し借りするようになった。
ぼくは例によって、それがもう自分の一部になっていた高橋源一郎や穂村弘の著作、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのアルバムを、ぶんちゃんは西原理恵子やサラ・イネスの漫画を貸してくれた。本と違って漫画は何巻もあるから、彼女はそれがどんなものかはぼくにはわからない、おそらく服とか化粧品とかを買ったりするお店のしっかりとした紙袋に入れてくれていて、それがうれしいようで恥ずかしい。
大切に持ち帰った紙袋から、自分ではまったく手に取らなかったであろう作品を取り出してひらくのは、たいてい眠る前の夜の時間。おもしろいと思ったものもあまり魅力がわからなかったものも、全部彼女を構成する要素のひとつであるという時点で、ぼくにとって特別な1冊だ。
眠る準備をして部屋の電気をすべて消す。この団地の夜は早いから、窓の外を見ても一切明かりの気配はない。棟を結ぶ遊歩道沿いに設けられた人工的な植栽が、その時間には鬱蒼とした森のように感じられる。すべてが寝静まっている空間にぼくだけが起きている気がして、だからこれが世界で最後の光。そう思って室内を暗くして、ベッドサイドの読書灯だけを灯すのが中学生のときからの日課だった。
そこで借りたものを読んでいると、彼女が一人で書店に行って、その目当ての本や漫画を探している光景が勝手に思い浮かんでくる。とても真剣な表情だ。なかなか目当てのものが見つからないときほど、あ、あった! というときの喜びは増す。ぶんちゃん、わかるよ、と思う。それで大事に抱えて、名前だけ知っているあの駅にある生まれ育った家に帰っていく。あるいは帰りの道中に我慢ができず地下鉄のシートの上で、ひらいたのかもしれない。そんな本が今ぼくの部屋にあるということ。