武田俊の読むラジオ|#49 書くことについて
体ぜんたいが疲れ切っているのに、イオのお世話をしつつ家事をしないといけないとき。
というのはだいたい毎日のことなのだが、どうにか元気を出して乗り切れないか色々試していて、最近最適解とおぼしき手法を見つけた。それは、個人でやっている飲食店の仕込み動画をYoutubeで流しながらやる、というもの。これがめちゃくちゃ効く。一緒に仕込んでいるような気持ちになれるし、お店ごとの仕入れから開店までのデザインされた流れや、それぞれの工夫が見えてただ楽しいだけでなく、見ているこちらが支援されるような気持ちになる。
『情熱大陸』でも『プロフェッショナル』でもなんでもいいのだが、あの手のドキュメンタリーはみんな好きだ。ぼくも好きだ。なんでだろう。成功者に学びたいとか、出演者のファンだからとかいろいろあるだろうが、じつは人間は他の人間がなにかをつくっているところを見るのが好きだから、なんじゃないかと思っている。他の理由はバリエーションでしかなくて、その根っこには、人間はものをつくることや、つくっているのを見ること、それを通じてなにかを知るのが好きな生きものなんじゃないか。
通っていた大学の文学部日本文学科は、2年から3種類のゼミに振り分けられる。「批評」を学ぶ文学コース、言語学の言語コース、クリエイティブライティングを学ぶ文芸コース。このうち文芸コースは人気で選抜がある。今週、その志望者である学生から選抜課題のアドバイスをくれないからと連絡をもらった。なつかしい気持ちになった。ぼくは文学コースを選んだ。ほんとうは創作をしたかったはずが、それを教えてもらうことにためらいがあった。
と、当時は思っていたのだけど、その実逃げていたんだと思う。
そもそも長く机の前に座っていられなかったから、長い文章を書けなかった。だから小説も書けなかった。試してみたことはあったが、書けるのはせいぜい感情や勢いや突飛なアイディアだけで乗り切る短編で、長いものは無理だった。そもそも散文的な思考が苦手で、構造のためのテキストや、テキストで「建築」していくことが苦手だった。だから短歌をやっていたのかもしれない。流れ星みたいな一行。そういうものならできる気がしていた。