たまに読みたくなるごつい本
定期的に、ごつい本を読みたくなります。
それで今、ロベルト・ボラーニョの大著『2666』を引っ張り出し、なでたりめくったりしています。出た時に読んだのに、きれいさっぱり内容を忘れてしまった1冊。数ヶ月前に、本の読める店・fuzkueの阿久津さんが再読していて、その様子をかれの日記を通じて見ていたので、以来ぼくも再読したくなっている。
ごつい本のいいところ。
持ち歩けないから、基本的に家で読むところ。
ぼくの場合はだいたい寝床で。同じ場所で読み続けた本、それに向き合う時間はなんだかとくべつなものになる、気がする。
厚さと重量に比例して、読破したときのシンプルな達成感がある。
読書することはぼくにとって日常的なものだから、ごつくない普通の本を読み終えても、おもしろさや発見や戸惑いはあっても、あまり達成感はない。日常的にランニングをしているひとが、5キロや10キロを走っても特段負担を感じないように。でも、フルマラソンだとたぶん、相当な達成感があるだろう。そんな感覚。
思い出深いごつい本。
はじめての「挑戦」は小学校5,6年の時いに読んだミヒャエル・エンデ『はてしない物語』。こういう子どもはけっこういると思う。『しろばんば』とかを読んでいた読書家のオカベさんが読んでいて、競うような気持ちで読んだ。本の中に入ってしまう話を、本を通じて味わうなんて!
どきどきしながらひらいて、毎日すこしずつ読んだ。