味の素とミニマル料理

手軽さとおいしさをめぐる冒険が生活ってこと
武田俊 2024.06.10
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18歳で上京してから、ずっと料理をしてきました。料理のおもしろさは色々あるけれど、ぼくはも盛りつけなどは苦手で、その楽しみはもっぱら加工と味つけに終始している。色々こだわっていた時期は、各地に仕事で出かけるとその土地の調味料や保存食を買ってきたりして、それを自分なりに使ってみる。今までと違った味つけに成功するととてもうれしい。「とくべつ」な気持ちになるからです。

だからずいぶん長いこと、味の素については遠ざけてきた。うまみは尊いもので、かつおならかつお、昆布なら昆布、それぞれの素材を通して抽出して、料理に活かさないでなにがうまみでしょう、なんて思って。

それがはじめての子どもが生まれた昨年から、がらっと変わったんですね。

料理は楽しみというよりも、奮闘する大人2名の毎日をうまく回していくための作業として必要になって、つまり速度とか簡便さみたいなものが大切になり、ふと味の素を使ってみることにしたのです。

バズレシピのリュウジさんまわりの味の素をめぐる論争を興味深く眺めていたのもあるし、最近読んでいる澁川祐子さん『味なニッポン戦後史』が、むしろそれを使ってみようという気をおこさせたうよう。

で、やってみると、これが、なんとも楽しい。

たとえば目玉焼き。
今まで塩コショウかしょうゆで食べていたものに、味の素と塩をかけると、とたんにうまみがそのぜんたいを下支えしてくれるような感覚。この支えによって逆算的に、たまごという食品には、うまみと塩味だけが含まれていない、ということが感覚的にわかったりします。

これはちょっと衝撃的な体験でした。
つまり、簡便さを求めるために味の素を使ったことで、翻って、その食品の素材としての持ち味やパラメータを知ることになったのです。

それ以来、何か味の不足を感じたときに、これまでは手持ちの様々な調味料を足すことで(なんせ味を足していく作業は錬金術のようで楽しい)乗り越えていたのが、味の素をいったん加えて様子を見たりするようになった。大量のスパイスを格納した棚の最前には、赤い目をした味の素のパンダの瓶が鎮座するようになったんです。

それで昨日。
ようやく手にしたエリックサウスの稲田俊輔さんの『ミニマル料理』にならって、「ザ・シチュー」と題されたレシピを試してみました。この本はほんとうにすばらしく、技術発展により「手軽でおいしい」が可能になった時代に、いにしえの家庭料理の味わいを現代に召喚し、さらにアプデさせよう、というもので、試し読みもできるのでぜひ「絶対に読んでほしい前書きをリンクから飛んで、絶対に読んでほしいです。

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