パパ、じゃま
✏️日記のまえがき
ギターをはじめてから、音楽との関わり方は確実に変化したと思う。外部からの刺激として受け取り、それを自分の中で咀嚼するようにして感じていたのが、呼応する関係(といってもあまりに貧弱な技術なので、ただ何か音を出せる、程度のことだが)を前提に聴くことができるようになると、インプット自体がある種のアウトプット性を帯びるような感覚がある。
たぶん「練習したら弾けるはず」という感覚を持った状態で聴く、ということが、聴くこと自体の創作性を高めてくれている気がするのだった。これはあらゆる芸術に当てはまるのだろう。つくることを経験しておくと、見たり聴いたりする解像度が一気に高まり、インプット自体がアウトプット化していく、というような。映画も、演劇もきっとそう。とここまでかいて、建築はどうだろう、と思った。家をつくったことのあるひとが、ひとの家を見るとき、自分の家を建てようとするとき、そこにはどんな感覚が宿っているのだろう。
✈️空中日記 125|You're so fuckin' special
12月15日(月)
BOOKS CALLINGで「芥川は魔都・上海で何を見てしまったのか」の回を公開。最近のひろた回はキレキレだ。だからこそタイトルをいつもぎりぎりまで迷ってしまう。名前をつける作業のとき、いつも『さようなら、ギャングたち』の冒頭が頭の中を横切っていく。親につけられた名前を拒否し、自分で自分に名前をつける。そうしていったひとたちが、自分でつけた名前に殺されるようになった時代。かれらは恋人同士で名前をプレゼントしあうことで、死を逃れようとした。
名前をつける。編集の醍醐味のひとつ。
Chanpan「endlessly」を聞く。いいタイトル。ドラムンベースにボーカルが合わさるの楽しい、というシンプルな発見がある。
夜、半端にあまっていた鶏ももと豚こまをあわせて、親子・開花丼にする。親子と他人が混ざっている。それとコールスロー、お味噌汁。全部あわせて20分以内につくれてうれしい。こういうところから生まれる小さなよろこびと自信が、生活そのものをつくるのだと強く思う。