牡蠣の文体
✏日記のまえがき

若いころに大人にいわれていやだったこと──世の中そういうもんなんだよ、要は慣れだ、のようなことば──が、いま年をとってみて、どれにもしっかりと共感する。たとえば居酒屋のトイレの注意書きのようなもの、あるいは相田みつを的ななにか。そういうものが、肌を通してはっきり理解でき、しっくりくる。たぶんそこには、経験に裏打ちされたぶれにくい真理、のようなものがある。
あのころ、そんなことばを投げかけられていやだったのは、年配者から価値観を押しつけられたように感じたからではなかった、ということが今ならわかる。ある程度押しつけがましいことばだって、そのひとの経験に裏打ちされた考えを教わること自体、ぼくにとっては喜ばしいことだった。じゃあなにがいやだったのかといえば、それはかれらがことばを尽くしていないように思えたからだろう。
知りたいのは、「世の中」が「そういうものだ」と気づくまでのプロセスや、「要は慣れだ」と思うようになったターニングポイントになった出来事だ。それと合わせて、あなたの中に生まれた価値観を教えてほしい、とたぶん思っていた。
なぜかれらはその気づきを合わせて話してくれなかったのだろうか。なぜ、手短でステレオタイプな感慨に閉じ込めて話したのだろうかと考えてみたら、恐らく同じような思いを若いころにしてきたからで、だからわざわざ自らの体験を展開するまでもなく、真理のようなもの、だけをそっと置いていったのかもしれない。知らんけど。
その流れに抗いたいと思う。個別具体的な自分の気づきを自分のことばで提示してから、過去のひとたちの気づきの連なりの中へ溶けていきたい。それで自分の人生の重要な気づきが、最終的に居酒屋のトイレの格言みたいになるなら、それでいいと思える。それが人間なのだとしたら、悪くないものに思える。