あの日の空は、何色?

✏日記のまえがき
ラフでカジュアルなご飯がおいしいのだった。
ハレの、特別に腕を振るってつくる料理がおいしいのは当たり前で、その反対側に、もう納豆ご飯だけでいい、それで十分においしいから、というようなものがある。その時はたしかにそう思っているし、事実、納豆ご飯は大変においしい。それに、可変的でもある。キムチ、のりの佃煮、目玉焼き──隣になにをつけてもおいしく、不思議と納豆はそのクセでもって他の食材を抱きとめてくれるようなところがある。
それでも、実際のところ、毎日納豆ご飯だけではダメなわけで、気軽に、雑につくれて、けれどその中にほんの少し工夫や特別な要素を持ち込むことで、生活のよろこびに変えてくれる、そんな料理が今週は何度かできたようだ。
高麗人参ほか薬膳をすべてカットし、もち米もあきらめたなんちゃって参鶏湯も、そのあまりでつくるカレーも、残った野菜の端材でつくるペペロンチーノも、そこにちょっと工夫を持ち込めば、個別具体的な体験になって、特別な味になる。そういう時間が生活をつくる。逆にいえば、その余裕すらなくなった時、生活は音を立てて崩れ、ただの延命作業のような、冷たく苦い地下のコンクリートのようなものに変わってしまうのだ。
✈空中日記 127|お ひ げ

1月5日(月)
朝、ひょんなことから言い合いをしてしまう。言い合いはいつもひょんなことから始まって、いやな形で終わる。それでまた話し合いをして、生活の中のさまざまなルールや、コミュニケーションの取り方を是正する。それでもまた言い合いが起こってしまう。それはイオの成長に伴ってこの生活というゲームのルールがこまめにアプデされているからで、けれどゲームと違ってアップデートのお知らせは届かず、何が更新されたのかは毎回ぼくらが個別に探っていかないとわからないのだった。
髪を切りに表参道にゆく。年内に切るか、年明け最初にするか。毎年少しだけ悩んで後者を選んでいる気がする。窓際に立っていると入ってきた冬の光がガラスの加減なのだろうか、ふしぎと手元でゆらゆらと揺れ続けている。その光がちょうどiPhoneの画面を照らしていて、そこについ先ほど〆切時間となった秋学期最後の課題たちを映し出して、電子書籍のように読み進めていく。
石川さんに年初のごあいさつをして、いつも通りの髪型に。そのままABCへ。2026年の書店初めだ。夏葉社の島田さんが津村記久子さんにインタビューをした『ふつうの人が小説家として生活していくには』を買いたかったのだった。最寄りのチェーンの書店にはないし、Amazonで夏葉社の本は買いたくない。ちゃんと書店で出会って買いたい。でも、この本はどうか早く手元に置いておきたい。そういう状態だったから、今日美容室の予約を入れていたのは僥倖だった。