シュプレヒコールはとなえない

具合の悪かった日にかんがえていたこと
武田俊 2024.05.01
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これを書いているのは、1日のAM2時です。
さすがにこんな時間なので、みなさんには朝届くようにしようかな。

ふだんここに書くもののうち、前書きみたいなのやお知らせではない部分は、エッセイとしてUlyssesというエディタでばーっと書いて、推敲まではしなくても、一回はぱーっと読み直して一応「原稿」のようなものにしてからお送りしている。自分がひとに手紙を書くときのそれに近い形をどうもとりたいようで、なんとなく自分の中の誠意みたいなものとして、たいせつに思っているみたいです。

さっきお風呂に入っていて、妻も子も寝たこの時間のお風呂は、今の生活の中で限りなく唯一「ひとり」になれる時間で、なのにiPhoneを持ち込んでいろんなものを見ていたら、なにか湧き上がってくるようなものがあって、今日は備忘録みたいにかきます。とりとめもなく書くので、どうなるかわかりません。

***

イオが生まれた10月末以降、ぼくの体調には大きな変化があって、かんたんにいってしまえば、自分がいなくなってしまえばいいのに、と思い続けるような大きなうつが来なくなっていた。それはよろこばしいことのようで、けれどうつというのは、寄せては返す波のように、巨大なエネルギーが湧き上がりがちな自分のストッパーとしての機能があるから、それがないということは、いつか大崩れするんじゃないかと恐れていた。

で、恐れていたものが今朝やってきた。

なつかしい痛み。

というフレーズがいま記されているのは、それが今は通り過ぎているからであって、うつの記憶は引き継がれないから、毎回個別具体的に、うまれてはじめての苦しみとしてリアルタイムでは感じられる。

5時、イオが目を覚ましたところからそれははじまっていて、でも寝込んでいるわけには行かず、おむつを変え、あやし、ミルクをあたえ、あやし、近い将来はじまる1日2回食の離乳食の習慣に近づけられるよう、今日から朝離乳食をあげることにしていたから、その用意をし、あやし、そうしていたら6時半になり、妻が起きてきたあたりから、もう身体の自由がなにも効かなくなって、カウチの中に沈み込んでこころの中だけで泣いていた。

妻は7時に家をでるから、そのあとなんとか保育園に送っていって、帰宅してまたもとの体勢に戻る。動いていないのに息が荒い。理由はなくて、理由がないのにこうなるから病なのだった、と思い出す。こういうときの自分は、ノーランが撮った『メメント』の10分しか記憶の持たない主人公レナード・シェルビーや、小川洋子『博士の愛した数式』のからだじゅうに大切なことを書いたメモを貼り付けている「博士」(こちらの記憶は80分だ)のようなもので、まず呆然とし、しばらく経って「どうもこういう辛さが前にもあったらしい」と気づき、こういうときのためにふだんの自分が用意したメモを読んで、自分を理解することからはじめる。

そうしても別によくなるわけではないけれど、そうすることになっている。身体は動かないけれど、その反面、頭はずっと回転をやめてくれず、絶えず回る頭は熱をもって、なにかひとつのことを一心不乱に考え続けようとしている。たいていは自己否定にたどり着くわけだけど、きょうはずっとパレスチナでの虐殺のことばかり考えてしまっていた。

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